〓 ただ一つの我侭 〓



城の中庭で見慣れた後姿を見つけてヒーニアスは声を掛けた。
「ヴァネッサ」
「王子?」
予想外だったのだろうか、フレリアの天馬騎士は驚いたように振り返り背後の主君を見上げた。
「何をしているんだ? こんな所で……」
ヒーニアスは辺りを見回して問いかけた。
ヴァネッサは中庭の柔らかい土の上にぺたりと座り込み、何か作業をしているようだった。そばに盛られた土と、スコップ、それに少し離れた所に幾つかまとめて置かれた苗を見ると、どうやら花を植えているのであろう事は予想出来るのだが。何故彼女がそんな事を?
顰め面で見下ろしてくる主君の考えている事が分かったのか、ヴァネッサは作業を一旦止めて立ち上がった。
「ターナ様がお一人で花を植えていらっしゃったので、その手伝いを」
「ターナが? だが……」
ヒーニアスは中庭を見回した。だが、妹の姿は見当たらない。ここはそんなに広い庭ではないはずなのだが? と、視線を彷徨わせていると、
「今は、外庭で作業をしている庭師の所へ別の苗と種を貰いに……」
ヴァネッサは答えて、ふと服に付いた土に気がつき、慌てて払った。王子の前でなんてみっともない――そう恥じたのだろう。
「ああ、それでいないのか。しかし、こんな所で、ターナに付き合っていていいのか? ヴァネッサも忙しいのだろう」
「いえ。今日は午後から休みでしたので。特に予定もありませんし……寧ろ、助かりました」
「助かった?」
困ったように笑って言った天馬騎士の言葉に、ヒーニアスは眉を寄せた。
「普段忙しく、休みなど滅多に貰えないのだろう? 私はフレリアの王子だ、そのぐらい知っているぞ。なのにたまの休みに予定もないとは……ターナに無理に頼まれたのではないのか?」
あの妹ならありえる。たまたま通りかかったヴァネッサを、都合も聞かずに強引に誘って、「手伝って?」と無邪気に微笑む。自国の王女にそんな風に頼まれたら、真面目なヴァネッサが断れるはずがないだろう。
「それなら私からターナに言って――」
「違います! 王子、違うのです! 本当に……違うのです……」
「ヴァネッサ?」
「本当に、することがないのです。最近は以前よりも休みの日が増えて、やらなければならない事を余裕を持って出来るようになりました。それどころか、寧ろ時間が余ってしまって……。ならば空いた時間に少しでも鍛錬をと思っても、その……」
言いづらいのかヴァネッサは一瞬戸惑い、ヒーニアスをちらりと見て、そして視線を足元へ下ろした。
その仕草でハッとヒーニアスが何かに思い当たる。眉間の皺がいっそう深くなった。
「私の、せいか……」
ヴァネッサは慌てて否定した。
「違います! 王子のせいでは――!」
「いや、私のせいだろう」
そう言ったヒーニアスの表情はやけに優しげだった。ヴァネッサは思わず口を噤み、主君の言葉を否定することを一瞬怠った。
沈黙が、肯定を意味することをヴァネッサはその僅かな間、忘れてしまっていた。
「私の側に上がる事が決まってから、君の周りの環境は随分変わったはずだ」
徐に紡ぎ出された言葉にヴァネッサがハッと我に返る。何かを言おうとするのを、ヒーニアスは首を振って制した。
「何をするにも制限をかけられる……周りの人間の態度も大分変わっただろう」
申し訳なさそうにヒーニアスはヴァネッサを見た。
「今まで通り忠実な臣下か、あるいは正妃として迎えるのなら話は別なのだろうが……」
妾としてヴァネッサを側におく事を決めた時から、彼女に辛い思いをさせてしまう事は分かっていたし、覚悟もしていた。
けれどヴァネッサは頷いてくれたのだ。
“正妻”ではなく“愛人”になれと、“だが一番にする事は出来ない”と言っておきながら、“ずっと側にいて欲しい”と――。そんな自分勝手で最低な願いに、ヴァネッサは笑顔で頷いてくれた。
だから、出来る限りの事をして、彼女を守り、幸せにしようと決めた。
そう、決めたはずだった。
だが、自分のせいでこんなに辛そうにしているヴァネッサを実際に見てしまったら、その決意が揺らいでしまう。
ヴァネッサは決して弱音を吐かない。いや、もしかしたらどこかで、誰かに、例えば姉や両親には全てを話して、弱さを見せているかもしれない。
けれど、主君であるヒーニアスの前では、決してその弱さを見せたりはしない。それがヒーニアスの信頼する騎士であり、愛する女性だった。
そしてそんな愛する女性を、自分は縛り、苦しめている。
その事実がヒーニアスの胸を刺し貫いた。
――今ならまだ間に合うのではないか?
誰かのそんな声が聞こえた。
――今なら、まだ彼女を解放してやれるのでは……?
ハッと、そんな事を思って目を見開いたヒーニアスの僅かな変化に、ヴァネッサはすぐに気づいた。
無意識だった。
「嫌です!!」
ヴァネッサは自分でも気づかないうちに、ヒーニアスの胸元の服を両手で掴んで、必死に見上げて首を振っていた。涙の雫が辺りに散らばる。ヴァネッサには珍しい、感情を露にした叫びだった。
「ヴァネッサ?」
「お願いですから……それだけは……私を手放したりだけはしないで下さい……」
「!!」
「正妃でなくていい……一番でなくてもいい……ただ王子のお側に、近くにいることさえ許して頂けるならば……どんな形でも、私は……」
そこまで言って、ヴァネッサは我を取り戻した。自分が今、王子の胸元の服を掴んでいる事に気づき慌てて離れようとする。だが、ヴァネッサが離れる前に、ヒーニアスがその背に腕を回し、力強く抱き寄せてしまった。
「だから私は……手放せないんだ――!」
ヒーニアスは腕に力を込めた。
「っ……王子……」
抱きしめてくる腕の力は痛いぐらいだった。だが、ヴァネッサにはその痛みが心地よかった。自分は確かにこの方に愛されているのだと、感じる事が出来るから。
「私の我侭に、いつも笑顔で応えてくれる……だから甘えてしまう……」
苦しめるとわかっているのに。
「いいえ、違います、王子。これは、私のわがままです」
静かにヴァネッサは囁いた。
「……!」
ヒーニアスはよりいっそう腕に力を込めて愛しい女性を抱きしめ、ヴァネッサもそれを黙って受けれた。

「違うな」
しばらくしてヒーニアスがぽつりと呟いた。
ヴァネッサがヒーニアスの腕の中で顔を上げる。思った以上の至近距離に王子の顔があり、ドキリと鼓動が高鳴った。
「これはやはり私の我侭だ」
「王子!」
「だから、」
そっとヒーニアスの片手が、涙で濡れる頬に触れた。
「ヴァネッサは、別の我侭を言ってくれ」
「え?」
「何かないか?」
優しく問う。
ヴァネッサはゆっくり首を振った。
「そんな、他に……なんて……。私は、王子のお側にいられるなら、他には……」
「それでは私が納得出来ない。側にいて欲しいのは、私も同じだ。我侭になっていない」
ヴァネッサは黙って主君の瞳を見つめた。
本当に、望みなんて他にはないのだ。
そばにいられるなら、それだけで……。
「ヴァネッサ?」
優しく響く声。ずっと聞いていたい声。
いつか、この声も、ぬくもりも、全て他の女性のものになってしまう。
それは始めから分かっていることだ。諦めていたことだ。
ただそうなったとき、きっとこの方は、苦しまれる。優しい人だから。
王子が苦しまれるのは辛い。そんな姿は見たくない。
どうしたら、この方を苦しませずに、側にいられるのだろう。
どうしたら……。
――別の我侭を言ってくれ。
「……」
「どうした、ヴァネッサ?」
「では……」
「ん?」
ヴァネッサは一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。そして愛する人の瞳を再び見つめる。
「では、一つだけ」
「ああ」
「王子がご正妃をお迎えし、世継ぎがお生まれになった後で結構です……」
ヒーニアスは僅かに顔を顰めた。それを見て、ヴァネッサは明るく笑ってみせる。
「私にも、王子との子供を……」
「ヴァネ――」
「それが私の、我侭です」
そうしよう。
私はその子と二人、生きて、幸せになろう。
そして二人で、王子とそのご家族にお仕えしよう。
そうすればきっと、王子も安心して、ご自分のご家族と幸せになれるはずだ。
「王子、それが私のたった一つの、我侭です」
「ヴァネッサ……」
ヒーニアスは泣きそうになった。それを隠す為にヴァネッサをまた強く抱き寄せた。
「ヴァネッサ」
「はい」
「私は、誰よりも君を愛している。それだけは……信じてほしい」
「はい」
ヴァネッサはしっかりと頷いて、ヒーニアスの胸に頬を寄せた。

鼓動が聞こえた。ぬくもりが伝わってくる。
今だけは、この方は私だけのもの。

今、だけは。


END

七周年記念第三弾。聖魔のヒーニアス×ヴァネッサでした。
七周年の小話にはあとがきは書かないつもりだったんですが、この話にはやっぱりちょっとだけ。一言だけ、いいですか?
私、ハッピーエンド主義なんで。ヴァネッサを絶対に正妃にしてやる!! 以上(笑)
2010/1/25 海乃アナゴ




海乃アナゴ様素敵サイトから、七周年記念期間限定フリー配布素敵FE小説を頂いて来ましたー。
わたしもハッピーエンド主義なので、是非ともヴァネッサを正妃にして二人幸せになって欲しいですねー。